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日本代表の象徴的存在といえば、木村和司選手。絶頂期には「日本の10番といえば木村和司」「日本代表は木村和司のチーム」とまで賞賛されていましたし、その実積も納得のものだからです。

木村和司は当時の日産自動車で活躍した選手。当初はウイングでしたが、同じウイングの水沼選手が加入してから攻撃的MFに転向し、ゲームメーカーとして日産の黄金期を支えました。

日本最優秀選手を3度受賞、アシスト王にも輝くなど個人タイトルも多数で、もちろん日産のタイトル獲得にも大きく貢献。天皇杯では特に強く、合計6回の優勝に輝いています。

日本サッカー協会の日本人プロ第一号としても知られていますが、彼の強みはそのバツグンのボールコントロール能力。自由自在にボールを操り、当時の日本ではあまり知られていなかったスルーパスなどを駆使してチームメイトの得点を量産。特にフリーキックのキレは圧倒的で、その正確さと驚くほどの変化から「魔術師」と呼ばれた時期もありました。

そんな木村和司の伝説的なプレーといえば、1985年に開催されたメキシコワールドカップのアジア最終予選、ホームで行なわれた韓国戦での一発です。

TVなどの名場面特集では必ずといっていいほど取り上げられるゴールですので、ご存知の方は多いと思います。ですが今の時代のフリーキック名手である中村俊輔選手をもうならせたと言われるあの曲がり方は、まさに歴史に残る一発だったと思います。

試合は勝てば本大会初出場となる重要な一戦でしたが、当時の日本サッカーは発展を始める前の準備段階的な時代。対する韓国とは大きく水を開けられていました。

ゲーム展開はおおかたの予想通り。満員の国立競技場から大きな声援がかけられるも、韓国の強さの前になす術もなく、2点のリードを奪われていました。

そんな前半終了間際、日本にフリーキックが与えられました。ゴールまでの距離は約30メートル。今ではあり得ることでしょうが、当時の日本サッカーにおいてこの距離のフリーキックは十中八九、ゴール前のFWに合わせるボールを蹴ることが当たり前の距離でした。

ですが木村和司は、果敢にもこの距離からゴールを狙ったのです。

彼が放ったフリーキックは、ゴール前に並んだ韓国の壁を越え、鋭くそして大きく曲がりながら、GKが懸命に伸ばす手の先をかすめてゴール隅に突き刺さったのです。

実は当時のボールはかなり重く、この距離をこれだけ曲げて決める、という芸当は大変なものでした。
今の強い日本代表を知っている人にとっては、ありふれたフリーキックに見えるかと思います。
それでも当時あのキックは、世界を驚かせました。
そしていつも韓国に歯が立たなかった日本のサッカーファンに、勇気を与えてくれました。

もしかしたら夢のまた夢だったワールドカップに行けるのかもしれない。
結果は敗戦でしたが、そんな夢を見させてくれた木村和司選手は、今でも私の一番好きな選手です。

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