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「野人」という闘争心むきだしの男、岡野雅行。やはり、彼といえば「ジョホールバルの歓喜」
サッカー日本代表を初のワールドカップに導いた男と言っても過言ではないだろう。さかのぼること早18年前の出来事だった。当時、小学校3年生だった私は、今でもはっきりと覚えている。
1997年、11月16日。ワールドカップ初出場の夢をかけた大一番、日本代表はイランとの試合に敵地へ。
スコア2-2のまま延長戦にもつれ込んだこの試合、互いにチャンスを決めきれず、このままドローかという空気さえ漂いはじめていました。
しかし、このままホイッスルが鳴ろうかという延長後半13分、日本中が待ちわびた瞬間がやってきました。
それまでの予選はあまり出場機会に恵まれなかった岡野は延長戦から投入されていました。
中盤で呂比須ワグナーがボールを奪い、中田英寿がドリブルで仕掛けていき、ミドルシュート。しかし、相手ゴールキーパーが弾いた場所にいたのは岡野でした。
野人らしい泥臭いゴールが生まれました。その瞬間、テレビにかじりついていた私は飛びはね喜びました。
今でも日本代表の歴史の中で一番の出来事だと思います。
とても見ごたえ十分だったこの試合の視聴率は、なんと47.9%を記録しています。日本人の2人に1人がこの試合を見ていたことになり、そこからも日本代表の初のワールドカップ出場への期待の現れだったことがわかります。その中で一番の悲しみと言えば、この素晴らしい出来事をテレビの前でしか見れなかったことです。この歴史的な一戦を生で観戦し、ワールドカップ初出場の喜びを現地で体感したかったです。それからという私は、大人になった今、生でサッカー観戦する喜びを感じています。あのとき、岡野が決勝ゴールを決めていなかったら、今の日本代表もないだろうし、日本人のサッカーへの関心度も今みたいなところまでは到達していなかったと思います。この「ジョホールバルの歓喜」はこれから何年以上経っても、決して色褪せることはないでしょう。また、この様な奇跡がこれからの日本代表にも起きて欲しいと願います。今はもう昔の人となってしまった岡野ですが、サッカーファンの心からは消えることはないでしょう。私だけでなくみんなが選ぶNo.1のサッカー選手です。今の日本代表はワールドカップ出場が当たり前となりましたが、この「ジョホールバルの歓喜」が忘れられることなく常に初心にかえってこれからのロシアワールドカップに向けて頑張って欲しいと思います。

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