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Jリーグが始まるのがあと10年、いや5年早かったならば三浦知良ではなく彼が黎明期のスターになっていただろう。彼の代名詞とも言えたのが「フリーキック」。その尋常ではない軌道は誰にも真似することができないものであり、特に1985年(昭和60年)に行われたワールドカップメキシコ大会の最終予選、ホーム韓国戦での40メートル手前からみせたフリーキックは、当時の日本サッカーにおける伝説の1ページとして深く刻まれているものである。Jリーグが始まる前の日本サッカーの両雄「読売クラブ」「日産自動車」、スター軍団であった「読売クラブ」に対して唯一対抗できていた「日産自動車」のキーマンとして力強く輝いていた木村和司。広島弁剥き出しの朴訥とした話し方も彼の個性をよく表しており、ファンにも愛される選手であった。やはり今思い返しても、あと10年・5年遅く生まれていたなら、あと10年・5年早く日本リーグがプロ化されていたら、と思うと残念な時代にピークを迎えてしまった悲運の選手でもあったのかもしれない。

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