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1993年、Jリーグの開幕紛れもなく中心にいたのは、ヴェルディでした。当時のヴェルディはラモス瑠偉、柱谷哲二、北澤豪、武田修宏がいました。そんな中でも間違いなくカズは僕の憧れだった。
高速のシザースで相手の重心をずらし、一瞬で置き去りにするドリブル、コースを読んだ完璧なシュート、ゴール後のカズダンス全てが僕には眩しかった。カズは、中学の卒業と同時に単身ブラジルへと渡り、やがてブラジルにてプロ契約を交わし、ワールドカップ出場のために、日本に帰ってきた。
そう、全てはワールドカップのため、日本のために。
しかし、開幕した1993年のアメリカワールドカップの予選において、忘れることの出来ない悪夢が起きたのである。
宿敵、韓国に勝ち、イラクとの試合に勝てば出場を手にするはずだったあの試合。
後半ロスタイムまでスコアは2-1。
相手のショートコーナーからのクロスはわずかにカズの足に触れることなくゴール前に上がりあのゴールを決められることになった。
夢を叶えるために、日本をワールドカップに連れて行く為に、帰ってきたはずの男のあの姿を私は今でも鮮明に覚えている。

いや、私の彼への情熱はただの序章に過ぎなかった。
それからのカズは、ウイングで相手守備陣を切り裂いていた姿とは変貌し、ストライカーと化していた。
イタリアへ渡りセリエA発の得点を挙げ、欧州への扉を開いた。
ヴェルディに帰ってきてからも鬼神の如く、ゴールを量産し更に自分自身と日本代表を高めて行った。
そして、1997年フランスワールドカップ予選、日本は悲願のワールドカップ出場を果たす。
この予選、カズは序盤ゴールラッシュで代表を牽引したが、怪我の影響から終盤にコンディションを明らかに崩していたが、得点以外の剥がす動き、守備で貢献した。
しかし、1998年フランスワールドカップに彼が立つことは無かった。
メンバー落選。
あまりにも非情な監督の決断によりカズがピッチに立つことは無かった。
今でも思う。3戦全敗で終わったあのワールドカップにカズがいたらと。幾度となくチームを救ってきた背番号11が居てくれたらと。

それからもカズは腐ることなくボールを追い続けた。
日本代表としてワールドカップに出場するために。
私からすれば好きな理由というものを超越して、人生の大部分に彼がいるのだ。彼は言う。あのとき、ワールドカップに出れなかったから、今でも現役でいると。
そして、あのゴールが生まれた。
2011年、東日本大震災の復興支援チャリティーマッチ。
相手は日本代表。
抜け出して森脇を交わしてから放った右足のシュートはゴールに突き刺さった。
すぐさまゴール裏に走り踊ったカズダンスは、悲しみにあける日本を確かに照らし、突き刺した右手の人差し指からは、希望への光が見えた。

もう一度言おう。
三浦知良。彼は私の人生だ。

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